水辺で待つ

書き残し

「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」鑑賞・感想

*ネタバレあり

 某動画配信サービスにて視聴。 数年前からチェックはしていたが、昨日やっと視聴。ざっくりとしたあらすじは妻を事故で亡くした男の破壊と再構築という感じか。

 男は妻が亡くなっても涙すら流せず、自分が妻をどう思っていたのかもわからなくなる。分解衝動に駆られ、色々なものを分解する男を周囲の人間はおかしくなったと思い、怪訝な目で見る。義父も同じ悲しみを共有できるものと思い、男に色々と話をするがまるで通じない。娘の名前を用いて奨学金基金を作ろうとするが、男は乗り気ではない。それは、冷たい人間に見えるだろうか。私もちょっと、それはと思ってしまった。あまりにも大袈裟に思えた。

 男は妻の亡くなった病院の自動販売機でM&Mを買おうとする。きちんとお金を入れて、ボタンを押すがチョコが出てこない。そのことに腹を立ててクレームを、自動販売機を売っている会社へ送る。手紙にことの詳細を書き、不満をぶつける。そうしてカスタマーサービス課の女性と知り合い、徐々に自分を取り戻していくのであるが、その大部分は省略することとする。

 この「手紙を書く」という行為、そこから繋がる人間関係と気持ちの整理。この映画は男が手紙を通して出会った女性と新しい恋人関係になり、見事結ばれて、ハッピーエンドというわけではない。妻を亡くした男の気持ちの落ち着けどころを探るストーリーである。物語はハッピーエンドでなければ、と思っている時もあったが、最近はその「ハッピー」が何なのかわからなくなってきた。誰かを亡くして、新しい誰かと結ばれなくてもその人間の日々は続いていくのであって「エンド」まではほど遠い。結ばれることが「ハッピー」なのかもわからない。映画なのだから当たり前だと思うが、私たちの現実もそんなものではないかと思う。

 考えてみれば、私はその「エンド」を求めているのかもしれない。人生の選択をしただけで「エンド」になると思っていたのかもしれないが、そんなことは全くなく、どこまでも話は続いている。そう思うと私は安心が欲しかったのだと気がつく。安心できる役割になればそのエンドは大抵決まっているからだ。今でも先が見えないことはとても怖い。過去と向き合うことはできても未来がどうなっているのかはわからない。そんな不安を抱えながらも、自分が進んだ先でエンドへ向かってひたすら歩くことしかできない。人生はそういうものだろうか。私にはまだよくわからない。わからないからこうしてぐるぐると考えている。