水辺で待つ

書き残し

就活戦線大荒れ大下落

 これは私の就職活動への思いである。

 私は今日から就活解禁(この表現にげんなりする)した人よりは先に就活戦線へと放り出された人間である。学校を卒業したら当たり前に働いて、当たり前にそのまま生きていくのだと思っていた。何十社も受けてみて、練習して、エントリーシートを書いて。なんてことを私はしなかった。正確にいうとできなかった。ある時から私はエントリーボタンを押せなくなった。働かなければ、働く先を決めなければ。なるべく自分に合った、やりたいことではないかもしれないけどできることを、自分でも続けられそうなところを。早く決めなければ。そう思う内に私はいつの間にかエントリーボタンを押せなくなっていた。押そうとすると不安が押し寄せてくる。何社応募した、内定が決まった、テストがうまくいった、今度面接がある。そういう周囲の人間が当たり前にできている、もしくは努力できることが急にできなくなっていった。なんで?と思った。私はずっとこれまでそういうことをちゃんとできていたはずだ。周囲の人ができることは平均以上にできると評価されていたし、自分でも努力することが嫌だとか苦しいとか思うときはあっても「できない」ということはなかった。混乱した。急に、自分が世界で一番劣っている人間なのではないかという気持ちになった。それは今も時々自分に襲いかかってきて、私が外に出るための一歩を阻む時がある。どこの誰でもない自分がどこかの誰かになれればいいのにと何度も思うようになった。それから、私は何もできなくなった。働かなければという意識だけがいつも頭の半分を占めていて、求人をみては応募ができずにただ時間だけが過ぎていった。しんどい、しんどいしもう何もできない。そう思って何もしなかった。そしてとうとう周りが働き出して、私は働けなかった。

 この選択を後悔しているかと問われれば20%くらいは後悔している。もう少し頑張れたんじゃないかとか、もう少しいい選択ができたんじゃないかとか、どうしても考えてしまうのだ。でも、残り80%は後悔ではない。まず、何よりも精神を傷つけることの恐ろしさを知れたのがよかった。自分がどんなことで傷つくのか、どんなことができないのかの傾向を知ることができた。それだけでも後悔だけが残るような経験ではない。そして、自分がこれまで何もしてこなかったことを知れた。流されるままに生きることは何ら悪いことではない。それが上手い人間もいるし、そうしたい人がいることは当たり前である。しかし、私はそうできないのだと知ることで、自分がどう生きていくかの指針を見つけた。働くことはすごいことだ。私も働く経験がゼロではないのでその大変さは身に染みている。ただ、できることが違っているのだ。私ができることとしたいことはまだまだ不明確で、それがこの先どうなるのかはわからない。だから色々なものに触れようと思った。触れて、自分ができることは精一杯やればいいと思った。学校を出たからといって働く義務があるわけではない。でも働かなければ生活ができない。生きていけない。もしくはやりたいことがあって、そのために働く。好きなものが欲しいから、好きな生活がしたいから。どんな理由であれ働くことは誰にでもできることではない。現に自分がそうだからよくわかる。誰もが働けるわけではないし、誰もが働きたいわけでもないし、その逆もあるのだ。あり得る、ではなく。

 どうか、今日から始まる就活というもので精神を傷つける人が増えないように祈っている。多分、傷つけられることが多いと思う。でも、どうか自分で自分を傷つけないでくれと思う。そうなることに鈍感になってほしい。どうにかならなくても、どうにもできなくてもいい。できないことを責めるのは他人だけでいい。できないことを責めてくる他人なんて無視できれば一番いいとは思うし、そうしない人がいないのが一番だけれども。勝手に土俵に上げられて、右も左もわからないまま戦わなくてもいい。逃げても、誰かを頼ることも悪ではない。追い詰められて、大事なものまで失う必要はない。失っても一緒に探してくれる人は自分しかいない。それを実感することがない方が幸せなのかも知れない。精神的に楽、という意味では。それでもどうやってもそうなってしまう、そうしてしまう人もいる。私がそうだったから、いるのだ。そういう人はそれにのめり込まないようにだけ心がけてほしい。うまくできなくても、人と同じようにできなくてもいい。自分で自分の価値を下げないようにするのは難しい。否定されて、自分の過去ややってきたこと、性格に「どうして?」と理由を求められることもある。そしてそれをお祈りとして否定されるようなこともある。でもそれは、それまでの自分の価値がないとか、劣っているとかの理由にはならない。そもそもそれだけで価値を測ることはできない。価値尺度なんていつでも変化するからだ。だからどうかどんな結果になってもそういうものか、くらいの気持ちでいればいいのだ。やりたいことができなくても、希望が叶わなくても、就職できなくてもそれまでが無駄なことなんてない。価値がないなんてこともない。人生が終わることもない。あの日、自分に言い聞かせるようにして口にしていた言葉がほんの一瞬でも誰かの慰めになればいいと思う。