水辺で待つ

書き残し

 今の仕事について、もうすぐ一年になる。

 時の流れというのは速くて、私の感情や価値観が変わる前にどんどん進んで行ってしまうので、どうにもバラバラな感覚をよく抱く。

 頭と、「時間」という世界に縛られた現実が乖離している。私の頭の中は、数年前からずっと「私はどうやって生きていくのだろう」ということで埋め尽くされている。そこから派生する様々な、問題にああでもない、こうでもないと言いながら対峙している。

 時に、私はどこか遠くへ逃げ出したくなる。それは決まって、物事がうまく進まないときで、この先、自分に何一つとして良いことなど起こらないのではないか?という考えが頭を埋め尽くす時だ。消えて無くなりたいわけではない。ただ、私のことを何も知らない人たちの中で、何でもいいから生きていたい。

 私は失敗することに対する恐怖が大きくて、いつも怯えていて、自分の世界に立ち入られるのが嫌で、だから不機嫌で取り繕った、無愛想な人間であった。学生の時から、第一印象は「怖い」「おとなしい」「落ち着いている」だ。そういう虚構はいざ知らず、周りの人間は私を矢面に立たせることが多かった。何かを代表するものであったり、発言を求められることも多かった。

 一度だけ、明確に「嫌だ」と意思表示したことがある。確かあれは高校の時で、委員長を決める春のことだったと思う。多数決か何かで私が一番多く票を集め、その次に票を集めた子が最後まで残っていた。

 正直、どうでもいいのだ。やるかやらないかなど。でも、何となく「みんなが選んだから」と言って私が大人しく従う必要とか、義理があるのか?と思ったら、急に嫌になって「○○さんにやってもらいたいんだけど、いいかな?」と先生に問われた際に難色を示したのである。

 

 「え〜っと、嫌です」

 「でも多数決で決まったし、みんなが選んでくれたから。いいかな?」

 「はあ」

 

 多分、それくらいのやり取りで、私以外誰も覚えていないだろうことだ。でも、あの時私は確かに私であった気がする。

 それまで反抗することなく、無難にやり過ごしていた私から離れて、その時の感情のまま、おかしいと思ったことに難色を示すことができたのは、私が確かに私であった瞬間だった。

 

 私はわがままを言えない。

 今食べたいものも、したいことも、この先どうやって生きたいかも、何もない。

 その理由はわかっているけれど、教えない。口に出すと、憎しみでどうにかなってしまうから。言わない。あの日の、あの瞬間のまま生きていたら、私は今、こんなにも消えたいなど思わなかっただろうか。

 追いつかない。私の心が、時間の流れについていけない。ついて行かなくてはならないのかも、もうわからない。

 「嫌です」「でも、みんなそうしてるし」

 一体いつまでこの押し問答は続くのだろう。